- 代表取締役 小沢 昌博
- 一級建築士
一級建築施工管理技士
一級土木施工管理技士
出身校:帯広工業高校 八戸工業大学
趣 味:テラリウム、パークゴルフ
私の家づくり
私は昭和36年に大工棟梁であった父親の元、帯広市内にて生まれました。
幼いころは、父の働く作業所にて木の切り屑を積み木にしたり、カンナくずを割いたりして、よく木と共に遊んでいました。
中学高校の頃には休みともなれば、父の手伝いをしていました。木材に機械でかんなをかけたり、土台、柱、桁材などにホゾを造ったりと、大工さんたちと一緒に作業をしたりしていました。屋根の野地板貼りがとても楽しく、釘をくわえて大工さんと釘打ちの競争をしたりしたこともありました。今でいうインターンシップ制度の自家用版みたいなものでした。
高校は地元の帯広工業を卒業し、大学は八戸工大建築科を卒業したのですが、大学の時、私の専攻は建築構造学でありました。在学中1983年に東北地方に大きな被害、多くの犠牲をもたらしたマグニチュード7.7という大地震日本海中部地震(秋田県能代西方沖)がおきました。その為に私の卒業研究は秋田の地震での被害調査となりました。
私の父は能代の農家で次男として生まれ、のちに北海道に来て大工となりましたので、秋田は父の故郷であり私のルーツでもありました。青森、秋田の被害の大きかった地域を震度計を車に積み込み地盤状況、建物の被害状況を調査して廻り、どうしてこのような被害が、地盤や建物の何が原因で起きたのかを調査研究し、建築学会に研究室で研究結果を提出しました。このような多くの被害、犠牲をまのあたりにし、少しでも将来このような悲しい犠牲を無くす事の一助となれる、建築士となりたいと思いました。
卒業後、大阪のゼネコンで栗本建設という会社に入社し、東京、横浜などでライオンズマンションや事務所ビルの施工を担当させてもらいました。その後、帰帯し現在に至りますが、40年前、先代社長の父と2人で仕事をはじめた時、丈夫で長持ちするあったかい家を、誰でも手の届く価格でたくさんの方々に、つくって差しあげたいと思い、日夜、仕事をさせていただきました。
高価な高級住宅では無く、私はサラリーマンの皆様が、毎月、無理せずローンを払っていけるような、余裕のある明るい楽しい家を皆様に造らさせていただきたいと考えております。